中秋の名月や十五夜と呼ぶのはいつからいつまで?
平安時代、中国から伝わった太陰太陽暦(たいいんたいようれき)から旧暦8月15日迄を「十五夜」、「中秋の名月」、「芋名月」とし、農作物の豊作を祝い、また願う行事があります。三方に供物や稲穂に見立てたすすきや萩(ハギ)を飾ります。今年は10月4日(水)です。
また、旧暦9月13日には「十三夜」、「豆名月」、「栗名月」とし、秋の夜長に美しい月を見て、豆や栗の収穫に感謝する行事もあります。今年は11月1日(水)です。
いずれか一つだけの行事を行うと「片観月」、「片見月」と言われ、縁起が悪いと言われています(※1)。この行事で欠かせないものが「お団子」。月見団子とも呼ばれ、15個の団子をピラミットのように重ねます。
お団子は全部で15個、なぜ一番下の段は9つなの?
なぜお団子の一番下の段は九つの団子なのでしょうか?それは中国から来た数の考え方から、「九」は陽の数字(奇数)として一番数が多いため、縁起が良いとされています。9月9日が「重陽の節句」と言われ、「陽が重なる節句」と言われているのもこのためです。(※2)
お団子の形も関東ではまん丸、関西では猪の子どもに見立てたしずく型。様々ですね。9月~11月はお団子日和な月ばかり。「お団子」と書かれた文字を見るだけで、顔がほころんでしまうのは私だけでしょうか?
では、この季節に美しい月を愛でながら、おいしいお団子を食べる前に、そのルーツを辿ってみましょう。
昔から続く日本人とお団子の関係
お団子は神仏への供物としてまた主食や捕食として食べられてきた歴史があります。その他に、季節や行事とともに登場するお団子として春秋の彼岸団子や盆の迎え団子、厄除け団子や身代わり団子のように無病息災、五穀豊穣を願って食べるお団子もあり、その用途や意味合いは日本人の生活に深く根付いている食文化の一つと言えます。
お団子の歴史は縄文時代から始まったと言われていますが、現在のお団子とは程遠い食べ物でした。材料として木の実などを主に用いていましたが、あくも強く、消化が悪かったため、考え出された調理法が製粉加工し、水さらしをして、加熱して食べるということでした。
その後、中国から米が伝わり、稲作文化の始まりを見せた弥生時代では、すでにうるち米を主食として食べることが定着しました。それまで貴重なエネルギー源として食べていた木の実から、貯蔵ができて淡泊な味、さらにいろいろな食材と相性の良い米へと変わっていきました。
食材としての利用価値の高い米に昔の人は、一粒一粒大切に感謝しながら食べたことと思います。その感謝の気持ちから、米を使った食べ物を神仏の供物とする風習が生まれました。
中でもお団子は、その丸さや白さに邪気を払う、人の心は丸いとして心を表し、霊魂の納まるところとするなど深い意味が含まれています。
庶民のソウルフードになったお団子
鎌倉時代になると庶民向けに団子売りの商いが現れ、お団子が人々の食欲を満たす食べ物として盛んに食べられるようになります。(※3)
江戸時代には移動式の碾き臼(ひきうす)が普及し始め、大名の参勤交代や参詣の途中、旅の疲れを癒す場所として、道中や寺社門前に茶屋ができはじめ、空腹を補い、糖分を摂る目的でお団子が売られるようになりました。
お団子の材料である米の粉すなわち、上新粉は米を製粉したもので、水分を吸収しやすく、加熱することで米のでんぷんが糊化し、消化がしやすくなるという利点があります。
長い歴史とルーツをたどったお団子は、今でも私たち日本人には故郷の味とも言えます。
一方で、新しいお団子の形も最近では多く見られますね。若い世代が好むようなフルーティーでカラフルな餡をのせたお団子、串に刺さないお団子をかわいらしいカップに入れて、たれや餡をかけたものなどなど。
お団子の生地自体にも玄米粉を入れて香ばしい香りをつけたり、米の粉以外の材料を入れて食感を変えるなど、お団子新時代にも突入しています。
私のライスワークは、全国津々浦々にあるたくさんのお団子を食べ歩くこと。これからもおいしいお団子のルーツを辿り、歴史や新しい時代を感じながら、自分だけの一押しのお団子を探していきたいと思います♪
【参考文献】
(※1)田中久米四郎 「和食の散歩道」P39 創栄図書印刷株式会社
(※2)田中久米四郎 「和食の散歩道」P38 創栄図書印刷株式会社
(※3)小西千鶴 「和菓子のはなし」P68-75 旭屋出版